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2024年5月6日月曜日

テサロニケ人への手紙をアップしたばかりですが、Ⅰ・N氏のご指摘により、句読点を若干減らしました。ご迷惑をおかけします。
他の福音書等についても、句読点の修正を提案されていますので、近日に修正する可能性があります。

ルカ18章のやもめの訴えについて

ルカ18章で、イエス・キリストは、やもめの訴えを通して祈りを教えられました。
ギリシャ語直訳では、やもめは、「敵に報復して下さい」ということになります。(下記参照)
ギリシャ語のἘκδίκησόνは、英語ではAvengeで、仇討、仕返し、復讐になります。
また、この言葉は、ローマ書12章19節にも使用されています。

Rom 12:19  not avenging yourselves, beloved, but giving place to wrath; for it is written, "Vengeance is Mine, I will repay, says the Lord." 
口語訳聖書でも、「Rom 12:19  愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。 」
とあり、エクディケーソンは、「報復、復讐、仕返し」という意味に用いられています。
一般の日本語聖書、英語聖書では、エクディケーションを直訳して「報復」や「仕返し」という訳を避けて、「報いる」「正しい裁きをする」というような婉曲な表現になっていますが、
キング・ジェームズバージョンでは、明白にAvengeを使用しています。
なお、この部分のギリシャ語本文は、どの本文でも同じなので、欽定訳以外は、英語や日本語の訳は、実際のギリシャ語とは異なる訳をしていることになります。

やもめの訴えの各バージョンでの訳を併記します。
Avenge me of my adversary(King James Version)

「わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください」(口語訳)
「私の相手を裁いて、私を守って下さい」(新改訳)
英訳
 Give me legal protection from my opponent.' (New American Standard Bible)
Do me justice on my opponent,(Young's Literal Translation)

ギリシャ語本文
Ἐκδίκησόν
Avenge
με
me
ἀπὸ
of
τοῦ
the
ἀντιδίκου
adversary
μου 
of me

第3の天について

冠詞と同様に、ギリシャ語を日本語に翻訳するときに、単数形、複数形を明らかにすることは結構困難です。ぎくしゃくするからです。
たとえば、天は、多くの場合、οὐρανοῖς(ウーラノイス)で、ουρανοσ(天)の複数形です。英語では、heavensと、シンプルに表現できますが、日本語で天の複数形は表現しにくいものです。
当訳では複数形として表記しにくい場合、「諸々の」という形容詞を使うことにしています。
ちなみに、諸々の天・・なぜ天が複数形なのか、Moody Pressの、The New UNGER's Bible Dictionay
p545によれば、「明らかに3つの天について明確に述べている。2コリント2章2節から、「第3の天」が存在している事が明らかにされている。その事は、つまり、第1の天と、第2の天が存在しなければ、「第3の天」は存在しえない事を示している。
と言っています。
この辞典はさらに、
「第一の天」は明らかに鳥たちが飛ぶ空(atmosheric:ホセア書2:18)であり、また、雲の存在する空(ダニエル書7:13)、「大気圏」の事である。そして、「第2の天」は更に高い「星々の空」である、「宇宙」(創世記1:14-18)の事である。
そして「第3の天」は、三位一体の神のおられる天のことである。
その位置は明らかにされていない。・・・使徒ヨハネは天に呼ばれた。(黙示録4:1)
使徒パウロは第3の天に引き上げられた(2コリント12:1-9)
その他の記述があります。


テサロニケ人への手紙について

テサロニケ人への手紙第1、第2をアップしました。
英語はニューキングジェームズバージョンですが、日本語はキング・ジェームズ・バージョンの元となっている、ステファヌスのギリシャ語本文を採用しているので、英語のものと差があることがあります。多分、最初の欽定訳聖書のものと一致していると思います。
ギリシャ語注解を加えると、読みにくくなるので日本語と英語だけのものですが、将来的にギリシャ語の単語に関する註釈を加えるつもりです。
「神」について、4福音書では、「天の神」としていますが、ローマ書以降では、「神」=「天の神」として、「神」を採用しています。将来的に協力者たちと考証して、「天の神」を福音書以外でも採用するか、より良い単語を見つけるかしたいと考えています。
現在は、京都大学大学院(情報学部:工学部の院)I・N氏に協力をしていただいています。

2024年5月4日土曜日

2テモテ2章25節におけるネストレアランドテキストと、ステファヌステキストの違い

2テモテ2章25節におけるネストレアランドテキストと、ステファヌステキストの違い μή ποτε(ネストレアランド)とμήποτε(ステファヌス)
[1] ネストレアランド
ἐν πραΰτητι παιδεύοντα τοὺς ἀντιδιατιθεμένους, μή ποτε δώῃ αὐτοῖς ὁ Θεὸς μετάνοιαν εἰς ἐπίγνωσιν ἀληθείας,


2Ti 2:25  反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、


テファヌス
ἐν πρᾶότητι παιδεύοντα τοὺς ἀντιδιατιθεμένους μήποτε δῷ αὐτοῖς ὁ θεὸς μετάνοιαν εἰς ἐπίγνωσιν ἀληθείας
反対する者を柔和な心で教え導くべきです。もしかしては、彼らに真理の知識を与えて悔い改めに至らせ


2テモテ3章6節の違い

ἁμαρτίαις, ἀγόμενα ἐπιθυμίαις ποικίλαις,
They are the kind who worm their way into homes and gain control over gullible women, who are loaded down with sins and are swayed by all kinds of evil desires
彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。

 ἁμαρτίαις ἀγόμενα ἐπιθυμίαις ποικίλαις
creep into houses and lead captive silly women loaded with sins, led away with different kinds of lusts,
そは家々に入り来たりて、愚かなる婦を虜にする者はこれらのうちの者なればなり、かかる婦は罪を積み重ねられ、様々の欲に引きゆかれ

1テモテ3章16節におけるキリストの神性について

第1テモテ3章16節では、「キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた」。(口語訳)
しかし、キングジェームズバージョンでは、 God was manifested in the flesh, justified in the Spirit, seen by angels, preached among nations, believed on in the world, and received up into glory.
であり、神は、肉において現れ、・・・
とされています。
ギリシャ語本文では、
神θεοσとなっているのは、ビザンチンテキストとステファヌスであり、

καὶ ὁμολογουμένως μέγα ἐστὶν τὸ τῆς εὐσεβείας μυστήριον· Θεὸς ἐφανερώθη ἐν σαρκί ἐδικαιώθη ἐν πνεύματι ὤφθη ἀγγέλοις ἐκηρύχθη ἐν ἔθνεσιν ἐπιστεύθη ἐν κόσμῳ ἀνελήφθη ἐν δόξῃ

それをぼかしてὋς(whom,その方というような言い方)という単語を使って曖昧にしているのは、ネッスルアランドと、ウエストコットホルトの本文です。
καὶ ὁμολογουμένως μέγα ἐστὶν τὸ τῆς εὐσεβείας μυστήριον· Ὃς ἐφανερώθη ἐν σαρκί, ἐδικαιώθη ἐν πνεύματι, ὤφθη ἀγγέλοις, ἐκηρύχθη ἐν ἔθνεσιν, ἐπιστεύθη ἐν κόσμῳ, ἀνελήμφθη ἐν δόξῃ.