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2013年10月15日火曜日

2テモテ2章26節の訳について、口語訳と永井訳の違い


2Ti 2:26  and that they awake out of the snare of the Devil, having been taken captive by him, so as to do the will of that one.
かくて彼らは彼の意を成すために生け捕られたるかの悪魔の罠より覚めるに至らん(永井訳)
2Ti 2:26  一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。 (口語訳)

2013年10月9日水曜日

2テモテ2章7節におけるステファヌス(KJV)とネストレアランドとの違い

欽定訳では現在形、ネストレアランドでは未来形
それゆえ、ネストレアランドでは、γαρ(なぜなら)がテキストにあるのに、訳として挿入する事ができない。欽定訳では無理なく可能である。

 νόει ὃ λέγω· δώσει γάρ σοι ὁ Κύριος σύνεσιν ἐν πᾶσιν.
2Ti 2:7  わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。 


νόει α λέγω· δῴη γάρ σοι ὃ κύριος σύνεσιν ἐν πᾶσιν
欽定訳聖書
私の行っている事をよく考えなさい。なぜなら、主はすべてにおける理解力をあなたに賜っているからです。

2013年10月7日月曜日

2テモテ2章2節について

口語訳聖書 2Ti 2:3  キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。
KJV   
そこであなたは、キリストイエスの良い兵卒として、[1]苦しみを耐え忍びなさい

ステファヌスσὺ οὖν κακοπάθησον, ὡς καλὸς στρατιώτης Ἰησοῦ Χριστοῦ
ネストレ  συνκακοπάθησον ὡς καλὸς στρατιώτης Χριστοῦ Ἰησοῦ.

[1] 2553 κακοπάθησον endure suffer苦しむ、悩む,~を経験する、,trouble困難、紛争、心配、悩み、affliction苦痛、苦悩、悩み

2013年8月31日土曜日

マタイ福音書についての翻訳の差異

一般の聖書では、人に目立つためにする祈りは、単に「報いを受けてしまっている」ですが、セイヤーギリシャ語辞典によると、「receive in full・・完全に受けてしまっている」と訳すことができます。本書では、こちらを採用しています。
又、[1]あなたがたが祈る時、偽善者たちのようであってはいけない。なぜなら、彼らは人々に見られるために、これらのスナゴーグ通りの角に立って祈る事を愛している。アーメン。は言う。彼らはその報酬を[2]完全に受けてしまっている。


[1] 4336προσεύχησθεb 2pl
[2] 568 ἀπέχουσιν they have, receive in full, to keep away, be distant 

同じキングジェームズバージョンでも、大本の本文であるステファヌスに忠実であるものと、若干編集してあるものがあります。
マタイ6章6節では、祈りの時に、秘密の部屋で祈るならば、「明らかな形で」(ステファヌス)とありますが、NKJでは、省略されています。
6. しかし、[i]あなたが祈る時は、あなたの秘密の部屋の中に入ってその戸を閉め、密かな所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、密かな所で見ておられるあなたの父は、[1]明らかな形であなたに報いて下さる


[1] 591ἀποδώσειwill reward



2013年8月30日金曜日

ルカ福音書の変更・・定冠詞の大文字化と、接続詞καιの訳の複数化

ルカ福音書について、2つの点に考慮して更新しました。
1.英文の聖書に準拠して、定冠詞(the,The)のついている名詞を大文字にしております。(ギリシャ語本文ではありません。)
2.ギリシャ語接続詞και(通常の日本語のギリシャ語教科書では、AND・・そして、あるいは、また、)と訳されるものですが、Thayer Greek-English Lexicon of the New Testament に従って、接続詞の訳を複数にしました。

2532 και(カイ)接続詞 1.and.そして、そこで、2、A.alsoもまた、同様に、b、although,しかしながら、C.Beside, 加えて、moreoverその上、なおその上に,d.But also,e.And also

他のテキストについても、変更が終わり次第更新する予定です。

2013年8月7日水曜日

句読点以外のⅠテサロニケ訂正箇所

1テサロニケ1章7節:信者全体の模範になった→全ての信者の模範となった
1章9節 どんなかたちで→どのように
2章11節 勧めをし、→勧め
4章7節 汚れたに者→汚れた者
17節会います→お会いします
5章11節互いに互いに力づけ→互いに力づけ

2013年8月1日木曜日

ギリシャ語の冠詞について

(The Interlinear Bible)によれば、ギリシャ語新約聖書には、(ο、η、το)英語でTheに相当する冠詞が3588個存在します。日本語に直せば、「あの」「その」「かの」等に相当する言葉ですが、全てを日本語にすれば、ぎこちなくなるので、大文字にして表示をしています。

2013年7月15日月曜日

神、セオスについて


「天の神」について
日本語聖書の「神」は、仏教用語、または神道用語からの借り物で、聖書のギリシャ語本文にあるθεοσ(セオス)に該当する日本語の名詞が存在しません。
 新聖書辞典では次のように言っています。「日本において聖書の神を知ろうとするとき、・・次の問題に注意しながら進める事がたいせつである。第一に、日本古来の神観の問題である。・・・「日本人 の神々は、すべて人間的・相対的な存在である。言いかえれば、日本人の精神構造の中には、現世を評価すべき「究極的なもの」とか、「絶対的なもの」という 意識がない。そのため、創造者と被造物との間の明確な区別とか、聖なるものと俗なるものとの間の決定的な断絶がなく、この有限世界の一部が容易に神格化される」(新聖書辞典p321)
この問題のために、聖書翻訳者たちは、「絶対神」、「創造神」「創造主」「至高者」等の様々な訳を試しています。日本語の 神概念が、仏教や神道に影響されている限り、最善のものは見つかりにくいのですが、日本人に一般的に使用されている「神」と、「神」の語源ともなって いる「主神」を現わすインドのdeva(梵」の漢訳である「天」を組み合わせて「天の神」としています。いずれもセオスを現わすには物足りないものですが、現時点で最適と判断した。「天神」でも良いが「天の神」の方が読みやすいと判断しました。
その他、天国、地獄等も、仏教の「六同」(輪廻の天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)から転用したもので、聖書の正確な意味を現わしているのではありません。
この日本語訳は、ニュー・キング・ジェームズバージョンを採用しているが、英文欽定訳聖書には、このニュー・キング・ジェームズ・バージョン、古来の キングジェームズバージョン、キングジェームズ2000等、様々な訳が登場しているので、ギリシャ語本文のステファヌスを参考資料としてさらに最適な訳を求めているところです。