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2013年7月15日月曜日

神、セオスについて


「天の神」について
日本語聖書の「神」は、仏教用語、または神道用語からの借り物で、聖書のギリシャ語本文にあるθεοσ(セオス)に該当する日本語の名詞が存在しません。
 新聖書辞典では次のように言っています。「日本において聖書の神を知ろうとするとき、・・次の問題に注意しながら進める事がたいせつである。第一に、日本古来の神観の問題である。・・・「日本人 の神々は、すべて人間的・相対的な存在である。言いかえれば、日本人の精神構造の中には、現世を評価すべき「究極的なもの」とか、「絶対的なもの」という 意識がない。そのため、創造者と被造物との間の明確な区別とか、聖なるものと俗なるものとの間の決定的な断絶がなく、この有限世界の一部が容易に神格化される」(新聖書辞典p321)
この問題のために、聖書翻訳者たちは、「絶対神」、「創造神」「創造主」「至高者」等の様々な訳を試しています。日本語の 神概念が、仏教や神道に影響されている限り、最善のものは見つかりにくいのですが、日本人に一般的に使用されている「神」と、「神」の語源ともなって いる「主神」を現わすインドのdeva(梵」の漢訳である「天」を組み合わせて「天の神」としています。いずれもセオスを現わすには物足りないものですが、現時点で最適と判断した。「天神」でも良いが「天の神」の方が読みやすいと判断しました。
その他、天国、地獄等も、仏教の「六同」(輪廻の天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)から転用したもので、聖書の正確な意味を現わしているのではありません。
この日本語訳は、ニュー・キング・ジェームズバージョンを採用しているが、英文欽定訳聖書には、このニュー・キング・ジェームズ・バージョン、古来の キングジェームズバージョン、キングジェームズ2000等、様々な訳が登場しているので、ギリシャ語本文のステファヌスを参考資料としてさらに最適な訳を求めているところです。